Research

研究内容

計算化学と情報科学で、天然物生合成の「見えない過程」を可視化する

Overview

研究概要

私たちの生活を支える「衣・食・住」は、植物や微生物がつくり出す天然有機化合物(天然物)に支えられています。 なかでもテルペンは、医薬・農薬、香料、接着剤、プラスチックの改質剤、電子材料に至るまで、 あらゆる分野の製品に応用されている、社会基盤とも言える化合物群です。

こうした多種多様な天然物の骨格は、酵素の内部で起こる複雑な多段階連続反応によって、 短時間かつ正確につくり分けられています。現在の有機合成化学では難しい変換さえ、酵素は容易に実現してしまいます。

しかしこのことは同時に、反応の途中に「反応性が高く、寿命が短く、手に取り出すことができない」 中間体や遷移状態が数多く含まれることを意味します。単離も構造決定もできない以上、 生合成機構を実験だけで完全に明らかにすることは非常に困難です。

そこで私たちは、計算化学を主軸に据えます。 量子化学計算は、実験では捉えられない中間体と遷移状態のエネルギーと構造を直接与えてくれます。 さらに分子動力学計算や機械学習を組み合わせることで、酵素という反応場が、 どのようにして特定の生成物だけを選び取っているのかを解き明かします。

天然物の巧みな『ものづくり』の仕組みを理解し、目的に応じて改変できるようになれば、 有機化学・天然物化学における学理としての価値はもちろん、創薬や物質科学に強力なツールをもたらすと期待されます。

天然物生合成研究の概要図
01

機械学習ポテンシャルを用いた計算の高速化

反応機構を計算で明らかにするうえで、最大の障壁は計算コストでした。 量子化学計算による遷移状態探索は一つの反応に数日を要することも珍しくなく、 考えうる経路を片端から比べるには、とても時間が足りません。

そこで私たちは、汎用機械学習ポテンシャル UMA(Universal Model for Atoms、 1億2千万分子規模のデータセット OMol25 で学習)と、 Direct MaxFlux(DMF)法による反応経路探索を組み合わせました。 この枠組みにより、従来は数日を要した反応機構解析が、1反応あたり平均およそ4分で完了します。

速いだけでは意味がありませんが、精度も十分に実用的です。 有機反応を対象とした検証では、得られた遷移状態構造の RMSD は平均 0.24 Å、 活性化エネルギーの平均絶対誤差は 1.65 kcal/mol に収まりました。

この高速化がもたらすのは、単なる待ち時間の短縮ではありません。 これまで「本命と思われる一本の経路を確かめる」ことしかできなかった解析が、 「考えうる経路をすべて列挙して比べる」解析へと変わります。 以降のセクションで述べる量子化学計算や酵素シミュレーションは、この土台の上に成り立っています。

機械学習ポテンシャルを用いた反応経路探索の概要図

ケムステ寄稿記事「数日かかっていた反応機構解析を、わずか数分に!」

02

量子化学計算で反応機構を読む

テルペンの生合成は、鎖状の前駆体から生じたカルボカチオンが、環化・水素移動・アルキル基転位を 次々と繰り返す「カスケード反応」です。この過程で生じる中間体の寿命はきわめて短く、実験的な観測はほぼ不可能です。

私たちは密度汎関数理論(DFT)計算を用いて、これらのカチオン中間体と遷移状態を一つひとつ計算し、 エネルギー地形として描き出します。得られた経路を実験結果や同位体標識の知見と突き合わせることで、 提唱されてきた生合成機構の妥当性を検証し、ときにはまったく新しい経路を提案します。

計算には Gaussian をはじめとする量子化学プログラムを用い、配座探索には Crest などを利用します。 自作のワークフローによって、多数の経路探索を自動化・並列化しています。

量子化学計算による反応経路解析
03

シミュレーションと AI で酵素を視る

同じ基質から出発しても、酵素が違えば生成物は異なります。その違いを生むのは、 基質を包み込む活性部位の形と揺らぎです。私たちは分子動力学(MD)計算によって 酵素–基質複合体の動きを追跡し、QM/MM 計算で反応部位だけを量子力学的に扱うことで、 「反応場としての酵素」がカスケードをどう制御しているかを解析します。

近年は、機械学習ポテンシャルや構造予測モデルといったAI 技術も積極的に取り入れ、 従来は現実的でなかった大規模な経路探索・反応動力学の解析に取り組んでいます。 さらに Rosetta を用いた人工酵素設計により、望みの骨格を与える酵素をつくることを目指しています。

主に用いるソフトウェア:Gaussian / Amber / GROMACS / Rosetta / Conflex

04

実験科学との協奏

計算から得られた仮説は、実験によって検証されてはじめて意味を持ちます。 私たちは国内外の実験研究者と密に共同研究を行い、有機合成による標品合成や反応解析、 遺伝子組換えによる変異酵素の作製と機能評価を通じて、計算の予測を検証しています。

逆に、実験で得られた「説明のつかない結果」は、計算にとって最良の出発点です。 理論と実験を往復しながら研究を進めることが、私たちのスタイルです。

実験科学との協奏

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